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アンチテーゼとしての循環型社会誕生秘話

 ウィキペディアによると、循環型社会(じゅんかんがたしゃかい)とは、「有限である資源を効率的に利用するとともに再生産を行って、持続可能な形で循環させながら利用していく社会のこと」とある。

 また、平成12年(西暦2000年)に「循環型社会形成推進基本法」が制定された。

 この2000年という年は、他にも様々な意味で重要であり、例えば省庁再編もあり、大蔵省が財務省になったりもし、やがて2001年には911や明石花火の事故など多くの事故や事件につながるが、これらの話はまた後日。

 本題に入ろう。なぜ、循環型社会という考え方は生まれたのか? 深刻な公害や世界的な温暖化問題などがあるにしても、日本国内でこの言葉が生まれ、なぜ2000年に成立したのかについて、詳しい事情を知っている人はいない・・・。

 まず、今話題の舛添都知事の公費横領問題だが、そもそも政治のプロでもない人間が、なぜこうも代々、東京都という巨大都市の長になるのか。東京都も大昔は役人出身の人が知事になっていた。その最後に当たる人が鈴木俊一都知事で、長きに渡る都政への批判から、後継候補が対抗馬の元タレント・青島幸男に敗れてしまった。青島氏は選挙にカネをかけずに当選した稀有の人だが、単に人気だけで票が集まった訳ではない。当時東京湾岸に開催予定だった「世界都市博覧会」があまりにもバブリーで浮ついているという見方が強まり、その波に乗って開催反対を唱えた青島氏が急浮上し勝ったのである。

 しかし、新都知事にはなったものの、青島氏は新たに人々の関心を集めるべきテーマの無さに直面した。開催に反対しただけで代替案がないカラッポな人であった・・・。ところが、数ヶ月後、突然、青島都知事は「循環型社会」を声高に唱えたのである。その様子が分かるページを紹介しよう。

 彼のウィキペディアには、二科展に「循環」という作品を出したという記事もあり、思い入れの強さが伺える。要するに、世界都市博の中止、バブル経済への反省などのアンチテーゼとして循環型社会という考え方が生まれたのであり、単なる「エコ」とは違い、社会システム上の哲学思想が感じられるのである。

 最後に、なぜ私がこのことを知っているのか?については、まだ記述を控えておくが、分かる人には分かるだろう。そして、既存の循環型社会がただのエコと大差ないものであり、青島都知事以降、石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一と何代も文化人型が就任し、決して評価されていない現実。まともとは言えない。


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