循環の重要性について
モード業界の循環については、「インストラクターが教え、教え子がコンテストに出、結果をメディアが報道し、報道を評論家が分析し、分析をインストラクターが活かす」と「cycle」のページにて記載した。これを図に示すと、
上記のようになる。私は長い間、これが永遠不変な、普遍的な公式だと思っていた。しかし、実際には喜んで賛同する人は少なく、怒って留守電にメッセージを入れてくることさえあった。謙虚に反省するなら、例えば現実には下記のような人がいると気付いた。
これは、評論家の分析を選手自身が参考にして競技に臨む場合であり、インストラクターやコーチは介在しない。当然、選手はコーチ代を支払うことがなく、分析屋にのみ支払う。図書館で借りた本を参考にすれば、更に支払いがなくなる。しかし、それで勝てるのはよほどの天才選手か、周囲が低レベルな場合だろう。
今度は、元選手が好き放題に解説しているパターンで、野球中継でもお馴染みだろう。あまり昨今の情報をメディアから得てなく、そんな解説で通用する場合は、これもよほどの天才か、周囲が低レベルということになる。
次に、メディアがインストラクターの話を垂れ流す場合を見てみよう。
そのインストラクターの指導が本当に良ければ、競技で結果が出る訳だが、競技結果を重視せず、有効かどうか分からない指導方法をメディアが伝える。では最後に逆のパターンを見てみよう。
これは、インストラクターがメディアの報道を見て自分なりに考え、指導している場合である。報道を客観的に見たり、比較して裏や真相を読んだりする点では劣っており、田舎の先生に多いかもしれない。
以上、見てきたように、循環が成り立っていない場合のほとんどは、日頃よく見る分かりやすい日常だが、決して良いことではないと分かる。
循環の公式を重視してそのシステムづくりに着手すれば、技術や方法が向上するし、経済効果も上がる。雇用も増えるだろう。